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2009年4月13日

何のために努力をするか

やる気出すより手足出せ

答えはシンプルだ。

より良い自分に出逢うため

これに尽きます。別に金を稼ぐためでも、報われるためでもない。
人生、努力で獲得したものにこそ価値がある。

「より良い」の定義は人それぞれだけど、日常的に何かを続けていく事で、いつもとは違う自分を発見する事が出来る。それは大きな喜びです。それには、同じ事を続けている中での小さな違いに気付けるような感受性が必要だけれども、何かを続けていく中でそういう感受性を育むことも出来ます。

同じ事でも、簡単に出来てしまう人よりも、苦労して出来るようになった人の方が喜びは大きい。ただし、簡単に出来るはずのことを無駄に苦労してやるのは低レベルな自己満足ですけどね。

そして、何かが簡単に出来てしまう人はよりハードルを高く設定しないと同じような喜びは得られないのです。イチローは180安打じゃ満足できないのです。

劇的な何かが自分を変えてくれる事を望む人も多いけど、白馬の王子様はいないし、激痩せダイエット薬も無いし、急にモテることも無いし、宝くじも当たりません。それが仮に出来たところでそこには何の意味も無いのです。

そういった欲望は劣等感の顕れでしかなく、万が一その願いがかなったとしても、その場は一時的に優越感を感じて喜ぶかもしれないけど、じきに飽きてしまうでしょう。なぜならば、優越感で得られるような喜びは本質的な喜びでは無いからです。

人間は生まれながらにして、蟻に勝利する事が出来ますが、蟻に劣等感やそれとは裏返しの優越感を感じる人はいません。

他人への優越感が欲望の第一目的になってしまっている人は実は不幸です。それは、自分が本当に食べたいものよりも、他の人が食べられない高くて稀少な食べ物を食べる事が目的になってしまっているようなものです。たとえ美味しくなくても。本当はカレーなんかが食べたいのに、マズい高級食材が美味しいと自分自身を騙しているのです。

優越感で自分の欲望を埋めようとする人は、仮初めの喜びにすぐに飽き、また新たな優越感を渇望する悪循環に陥ります。マズい高級食材をいくら食べたところで、その場では腹は満たされるかもしれませんが、本当に自分が食べたいモノでは無い以上、心には何も残りません。でもそういう人は本当の腹の満たし方を知らない。

SEXとかもさ、異性への支配欲や同性への優越感を満たす為の道具になってしまったりすることが少なからずあるのが悲しい。これもまた本質的じゃないし、そういうところからさっさと逸脱した方が絶対楽しいと思うんだけどね。

結局自分自身で決めたハードルを、日々の積み重ねで乗り越えていくことが一番なのです。人間そういうところに喜びを見出していくしかありません。

ハードルっていうと目標設定みたいだけど、私は日々なんとなく続けていく中で自分の変化を感じ取り、いつの間にか出来ないことが出来るようになってた、みたいなスタンスが好きです。きっちり目標を立てた方が成長は速いんだろうけど、別に成長の速さとか求めてないし。

私自身、努力とは無縁の人生をおくってきて、今でも努力するのは苦手なんだけど、だからこそ今になって大事だと思うようになってきました。

スポーツをするようになったのが大きい。私の場合、これ以上頭が良くなるのも難しいし、かと言ってそう簡単に頭が悪くなる事もないんだろうけど、運動の場合ちょっと続ければ成長を実感できるし、サボってるともうすぐにだめになる。小さい頃全然運動できなかったから、今になって色々できるってのは楽しいし。


「努力」って言葉は何だか優等生的な胸糞悪いキレイ事に聞こえてしまう。なぜかというと、我々が受けてきた学校教育において「努力」って言葉はまさしくキレイ事だったからです。だから嫌う人も多いんだよね。

成長の差に関係なく、全員に同じハードルを与える学校教育においては、努力しないで何かが出来る人間がスマートに見え、なかなか出来なくてもがんばっている人が見苦しく滑稽なものに見えてしまう。これは本当に学校教育の良くないところです。

私もこの罠に見事にかかって「勉強をしなくても成績が良い自分」に満足してしまったんだよね。その一方で学校の勉強は退屈だと思っていたので平気でサボっていた。ちょうど「花の慶次」では慶次が「虎が鍛錬などするかね」とか言っていたので影響受けたし(笑)。もちろん悪いのは学校教育で「花の慶次」ではありません。

そういう意味じゃ「努力」や「マラソン」とかってのは、学校教育に不当にイメージを歪められてしまった不幸な言葉ですね。

小学校は単位制にした方が良いんじゃないかとも思うよ。一年を6期くらいに分けてさ。科目ごとに学年もばらばらで。人によって進みが速い科目もあれば遅い科目もある。年上と混じる事もあれば年下と混じることもある。

子供は別に自分の進度が遅くても気にしない。気にするのは自意識過剰な馬鹿な親。それが子に影響する。これは私の親が自宅でピアノ教室をずっとやってて、その中で実際起きているから分かる。

そういう馬鹿な親とか、学校側のマネージメントの難しさや、教師の質等、色々ハードルはあり実現は難しいけど、どっかでやってみて欲しいなぁ。


話を戻すと、努力は見返りのためにするものではありません。日々成長していく自分を発見するためにやるもので、それ自体が快楽なのです。

人間意思が弱いからなかなか継続するのは難しいけど、続けられない自分を責めるのではなくて、ゆるく続けるのが良いと思う。時には気が乗らなくてもとりあえず動いてみた方が良いこともある。

私も休みで晴れているときはロードレーサー乗ってるけど、気が乗らない日もある。それでも乗ると楽しくなることが大半だし、諦めて乗らない日もあります。

自分のやりたい事をやるのが大切だけど、その中でも「それは本当に自分のやりたい事なのか?」と自分に問いかけ続けることも大事。

投稿者 Songmu : 2009年4月13日 23:49

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