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2009年2月21日

人間の知能・感情なんて携帯電話のメール機能みたいなもんだ

そんな事を思った。本来の機能とは異なるおまけみたいな機能だったはずなのに、妙に肥大化してしまい、不可欠な機能であるように錯覚してしまうレベルになってしまった。本当はなくても大丈夫なのに。

生物が生きる上で、人間の知能や感情なんておまけみたいなもんだ。別にそんな余計な機能はなくても生物は生きていける。でも人間は生きていけない。それは進化なのかね?

人間が知性とか感情とか錯覚しているものは、突き詰めると結局は脳の中で渦巻く電気信号に過ぎず、その電気信号に応じて蛋白質ロボットがプログラムどおりに動いているに過ぎない。意思があるように感じているだけで、次に起こす行動は決まっている。

宇宙自体も突き詰めると、素粒子と素粒子同士の物理現象で成り立っている。例えるならば微細なパチンコ球が入り乱れる超巨大なパチンコ台でしかないのだ。

未来は決まっていてラプラスの悪魔は結末を知っているけれど、パチンコ台の中のパチンコ玉の集合に過ぎない人間には、それを窺い知る事すら出来ないことはゲーデルに証明されてもいる。未来は決まっているけど、絶対に分からない以上、人間にとっては決まってないも同じ事なのだ。

話が脱線した。人間以外の生物は、知能や感情がなくても生きていける。それに近いものを持っているのかもしれないが、人間とは異なるものだ。

「鯨は心を持っているから殺してはいけない」とかそんな話はアホ臭い話しで、鯨はそんな余計な機能がなくても、満足に生きているのである。

「鯨が心を持っている」だなんて、鯨を人間レベルに貶めた勝手な妄想は、別に個人レベルでは好きにして良いが、そんなのは男子中学生が好きな女の子やアイドルをオナペットにするようなものであり、公の場で堂々として良い話ではない。

そういう発言をする人間は、自分が安全圏にいて「自分が他の生命のために殺される」という事にリアリティが無いもんだから、自分が感情を寄せたものに対して、妙にヒューマニスティックに同情してしまう部分があるのでしょう。それは現代人共通の病みたいなもんではあるんだけど、そういう自分のエゴに対しては自覚的であったほうが良い。そして他人の感情に直接訴えかけるような発言をするときは多くの場合思いとどまった方が良い。

現代人は多くの命を犠牲にして生きている。そして、人間も遅かれ早かれ死に、地球に還るのである。人間の遺体は灰になったりバクテリアに分解されたりして、また他の生命の身体の一部になるかもしれない。コンクリートになったりしたらヤダけどその可能性もある。(勿論人間の身体なんて、物質的には2年くらいで入れ替わってるんだけどね。)

「死んでる事より生きている事の方が素晴らしい」とか「心を持っているから偉い」とか「死の惑星より生命に溢れた地球は尊い」とか「知性を持った人間は一番神に近い」とか「人間は進化の頂点である」とか全部人間が勝手に決めた絵空事に過ぎない。何度も言うが人間以外の生物はそんなくだらない事は意識しなくても生きていける。人間以外は反論しないから勝手に一人勝ちオナニーしてろって感じ。

しかもそういう特別意識は、プログラム上そう考えさせられているに過ぎないのだから滑稽だ。

そう。人間の面白い所は、自分自身について考えるようにプログラムされているところだ。自然の一部でありながら自然について考えている。

人間自体非常にメタな存在であり、だからこそメタな構造に萌えるのかもしれない。再帰、フラクタル、無限ループ、メビウスの輪、クラインの壷、胡蝶の夢、夢オチ、中の人。

話を戻すが、「地球が、生き物が貴重だ」、なんて人間しか考えない。だから、環境問題なんかも結局人間自身のためにやっている。生き物達もそんな事望んでないし、なるようになるだけだと思ってる(嘘。勿論望んでも思ってすらもいない)。巨大隕石が落ちてきたらおしまい。太陽が突然爆発したらおしまい。宇宙の片隅の些細な出来事に過ぎない。

人間はもともと地球にダメージを与えると人間自身に跳ね返ってくる事を本能的に知っていて、それが自然崇拝とかに繋がってたんだけど、科学が進化するにつれて本能がどんどん壊れていってそういう感覚がなくなって、どんどん環境を破壊した。ここに来ていよいよもってヤバイぞということに壊れている本能でも気づくレベルに来たと言うだけのお話。

誰だって、自分や周りの人間、子孫が幸福に生きてもらいたいと思うし、地球が豊かな自然に包まれていて、数多くの生物に生きていて欲しいと願う。例え植物状態がずっと続くとしても、愛する人には生き続けて欲しいと思う気持ちを持ってしまう。

そういう感傷的な部分があるから、人間は地球環境を護ろうとしてるんだよね。自分自身のためなんです。それで良い。

そういう感傷的な部分は当然持っていてしかるべきものではあるんだけど、それは各人が生きてきた中で植えつけられてきたもので、自然発生したものではないんだよね。

例えば、植物人間と人間の境目はどこかとか、植物人間を人間じゃないとは思えないとか、そういうヒューマニズムを持ってしまうのはむしろ健全だろうとは思うし、私もそう思うんだけど、でもそれは人間のエゴなんです。

アメリカが世界の警察だと勘違いしているように、人間が全ての生物の中心で、全ての生物を護らなくてはいけないとか勘違いしてはいけないのです。「我々が」多くの生命に生きていて欲しいと勝手に思っているだけなのです。

まとめます。言いたい事は、
「所詮人間は宇宙のチリに過ぎないんだから人間として自意識過剰になりすぎるなよ」
ってことと、
「せっかく人間は知能と感情っていう愉快な道具を持ってるんだから精々楽しめば良いんじゃない? でも別に生物として優れているとかそういうこととは関係ないよ」
と言うこと。そしたらきっと人生楽しいよ。

投稿者 Songmu : 2009年2月21日 20:15